バンクーバー
JTOタイトル

日本語教師JTO カナダ編3

 

第十四話

またまた、新しい生徒。

第十七話

ボランティア開始。

第十五話

うれしかったこと。

     

第十六話

「日加センター」に行ってみる。

     
 
 第十四話.またまた、新しい生徒。

授業にもだいぶ慣れてきた。習ったことを教える、といえばそれまでだが、自分の言葉として、日本語を知らない生徒にわかりやすく教える、というのはまた、技術が必要になる。結局は何回も同じことを繰り返していくわけで、それが経験となっていく。たった2人だが、教えたところは自分でも覚え、次はこういう風に説明してあげたらもっとわかりやすいな、とか、この例はよくないな、とか、試行錯誤の連続だ。自分自身の勉強のためには、どんどん教えていくこと。
そんなことをちょ〜っとずつ考え始めていたある日、友達から紹介があった。その新しい生徒は韓国人の女性。留学センターでお手伝いをしながら、将来アメリカに行き、自分の留学センターを作りたい、とアメリカンドリームを願う、とってもいい子だった。反日感情を植え付けられて教育され、儒教の教えに則った国、韓国。日本の隣で、日本文化解禁になったとはいえ、いまだすれ違いが多い。でも、少なくともバンクーバーをはじめ、海外に留学している韓国人というのは、国際感覚を持っており、過去の歴史も理解して上で日本人と付き合っている人が多い。というより、過去のことより自分の将来のことをとてもよく考えている。特にこの彼女、ミョンヒちゃんは、そういう韓国の学生さんたちとまた一味違っていた。普通、韓国人留学生は、大学を休学、もしくは終わってから、英語の語学留学に海外へ行き、1年くらいの留学経験をつけて、韓国へもどり、就職する。つまり、日本にもありがちな、履歴書にハクをつける、というのだろうか。会話能力よりもToeicの点数を伸ばしに留学する人たちがほとんどだった。その中で、アメリカに行きたい、という彼女の考え方は先を見ているような気がした。ちなみに、日本人が簡単にアメリカに旅行できるのに対して、韓国人は、できない。審査がきびしいのだ。ミョンヒちゃんの場合、アメリカで韓国人向けの留学センターを作りたいと思っている。そのとき、日本人留学生も一緒にカウンセラーできたら学生にも自分にもメリットがある、と考え、日本語を勉強したいと思ったそうだ。確かにバンクーバーでも留学センターのほとんどが、日本人と韓国人学生を相手にしたシステムになっている。
初めてミョンヒちゃんに会ったとき、そんなことを一生懸命話してくれた。Marty、なんとかミョンヒちゃんの夢のお手伝いをしてあげたい、と思った。今までのMartyの生徒と違って、彼女にビジネスにつながる日本語の勉強が必要だと感じた。JTO&ミョンヒちゃん
とにかく、最初の日は色々お互い話し、これからの授業の進め方などを検討していった。このミョンヒちゃん、話していると、とても面白い子だということに気づいた。変なユーモアがあり、独特の天然ボケがいい隠し味になっていて、話していて楽しかった。彼女とMartyの職場が100mほどしか離れていない便利なところにあったので、その中間の「Tim Hoton」というドーナツ屋(おいしいよ)を使って勉強していくことに決めた。がんばろうね、ミョンヒちゃん!! 

 
 
 第十五話.うれしかったこと。

日本語は「膠着語(こうちゃくご)」と言われる。「膠(にかわ)」というのは今でいう糊・ボンドのようなもの。単語と単語をつなげるのに糊を使う、と思えば簡単かな?例えば「は」「が」「を」などの助詞がそう。
「父 子 話す。」これだけでは意味が通じない。「父が子に話す。」なのか「父と子が話す。」なのか「父に子が話す。」なのか、色々なパターンが当てはまってしまう。これは世界広しといえども、あまり見かけない言語の1つであって、日本語の特徴でもあり、難しいところでもある。「I」を英語に訳すとき普通「わたし」とするよね。でも「わたしは」までが正しい訳し方。実は韓国語もそう。「は」や「が」に値するものがあるのだ。だから韓国人が日本語を勉強するのは意外と簡単らしい。語順も同じ。英語と比べたら理解もはるかに早い。韓国語の辞書にはハングルと漢字が併記してあるので、少し漢字もわかる。音が似ている単語も多い。つまり日本人が韓国語を勉強する時もわりと理解しやすいようだ。
ミョンヒちゃんもこの例にもれず、どんどん日本語を覚えていった。最初は挨拶。そして自己紹介、数字・・。時間の最初には、毎回自己紹介をさせる。いやがらずに何回も練習してくれる、いい生徒だった。
がんばれ、ミョンヒ!
「はじめまして、わたしはミョンヒです。韓国人です。バンクーバーに住んでいます・・・。」
そしてある日、話し好きのミョンヒちゃんが「こんなことがあったのよ。」と話し始めた。それは日本語教師をしていてもっともうれしい言葉だった・・・・・・。

ミョンヒちゃんが家にいた時、電話がかかってきた。電話の主は、以前ミョンヒちゃんと一緒の部屋に住んでいたルームメイトの日本人の母親からだった。しかしその日本人の友達はすでに引っ越してそこにはいない。でも母親は新しい電話番号を知らなかった。ミョンヒちゃんは引越し先の電話番号を知っていた。電話の向こうでは何か日本語を話しているが、早いし、単語の意味もわからない。でもいつも練習している自己紹介をしてみることにした。
「はじめまして、わたしはミョンヒです。韓国人です。バンクーバーに住んでいます・・・。」
すると相手は喜び、ますます日本語で話しかけてきた。何を言っているかはわからないが、ついでにその日の数字練習で勉強した電話番号を教えてあげた。電話の向こうでは
「ありがとう、ありがとう。」
と言っている。それはわかった。
今一緒に住んでいるルームメイトもそれを聞き、
「おっ、日本語話してる!」
と驚いてたのよ、と。私は日本語が話せたの、通じたの、と。

これほどうれしい言葉はなかった。一瞬涙が出そうだった。こっちこそ、ありがとう、だった。
語学を勉強しても実際使うチャンスがないと上達しないもの。このことがきっかけで楽しさを知って欲しいと思った。

 
 
 第十六話.「日加センター」に行ってみる。

ミョンヒちゃんとはだいぶイイ感じで授業が進んでいたのだが、彼女の仕事が忙しくなり、なかなか時間がとれなくなってしまった。「しばらく勉強できない。」と連絡があり、ちょっと寂しく思っていた。でもクリスティちゃんとフィオナちゃんは着々と授業を受け、がんばっていた。Martyもメインの仕事がぼちぼち忙しかったが、休みの日は日本語教師としてがんばった。今思うととても充実してたなぁ。
日本人観光客が相手の日系土産屋。これからが「秋のメープルツアー」やら「黄金のカナダ街道」やら修学旅行やらで忙しくなり、従業員の増強さえして稼げる、いい季節が来るはずだった。しかし、恐怖のあの日、9月11日以降、Martyの仕事量がガラッと変わってしまった。ツアー、修学旅行がすべてキャンセル。パートのおばちゃんたちも早めに解雇。ワーホリも例外でなく、普段より1ヶ月も早くお仕事終了になった。それでもMartyの場合は週2日ほど仕事を入れてくれ、ちっとばかし働けた。逆にこの暇な時期を利用して従業員が日本へ里帰り。その空いたポジションにMartyが入り、それでも週4日ほどの仕事がもらえた。でもそれは短期的なものなのでとても不安定な生活になる。失業保険をもらう手続きもしてみたりした。あのテロ攻撃は観光業で成り立っているバンクーバーに大打撃を与えた。
とにかく大量に時間ができてしまったので、何かしなくては、と思い、以前から気になっていた日本語教師のボランティアを募集している「日加センター」をたずねてみた。みんな、まじめ。
ここは日本人とカナディアンの交流の場。日本人にとっても生活や仕事、緊急時の情報などが得られる場である。さらにここでは、英会話クラブもあり、カナディアン1人に対して日本人3人という形で英会話が勉強できる。カナディアンといえども職業も様々、年齢も、オリジナリティ(中国系、フランス系など)も様々。英語を教えたことがない人がほとんどで、そういう意味では活きた英会話を勉強できる、いいクラブだ。英語を教えたカナディアンは、1つの英会話授業につき1回、日本語をタダで習えるという特典が付く。その日本語を教えるボランティアを常時募集していた。Martyは早速説明を聞く。なんとかつとまりそうだった。そばで日本語の授業をしているテーブルに行き、オブザーバーとして参加させてもらった。ん?ん?ほとんど英語で会話してて、日本語の勉強になってないぞ?カナディアンのほうは自分の彼女がどーたらこーたら。う〜ん、大丈夫かな・・・。日本語教師さんのほうは教えた経験まったくナシで、どうやったらいいかわからない様子。時々沈黙アリ・・・・。がぜん、Martyの日本語教師の血がフツフツと沸いてきた。
いろんな人がいるよよ〜し、ちょっとここでがんばってみようか。経験をつけるにはいいところ。早速次の日の朝1番の授業の予約を入れた。

こういう交流の場だけに、男女の、いわゆるそういう関係も生まれる。最初からそういう気で来るカナディアンもいるが、そういう気で来る日本人女性もいる。というウワサも聞いていた。
しかし、Martyが出会ったカナディアン達は、みんなまじめで、ホントに日本語を勉強し、将来日本に行き、英語の先生になりたいと願う、ステキなカナディアンばかりだった。

 
 
 第十七話.ボランティア開始。

ちょっとワクワク、ドキドキしながら15分前に「日加センター」に着く。この時期は雨が多く、気分的にもドンヨリしがち。そんな気分を吹き飛ばすような心構えで自分の担当の席に着いて待つ。このとき、すでにカナディアンがちらほら来ていた。
ここのシステムは前にも書いたように、英語を1時間教えたら日本語を1時間習える、というもの。しかし、英語を教える時は生徒は毎回違うし、日本語を習う時もそのつど先生が変わる。色々な人から語学を教わることができるのだ。ここが語学学校と違う点。
Martyの最初の生徒は若い男性。ライダースタイル。バイクが好きなのかな?アジア系の顔立ち。ちょっとドキドキしながら、
「こんにちは。」
と声をかける。すると
「コンニチハ。」
と返ってきた。ちょっと雑談して日本語の勉強歴、どうして日本語を勉強したいのか、など聞いてみる。彼は将来日本に行き、英語の先生になりたいらしい。日本語は友達から少しだけ教えてもらった程度。「日加センター」には数回通っている。ほんのほんのすこ〜しだけの単語がわかるようだ。でも文章は作ることができない。なので会話、説明はほどんど英語だった。でも、クリスティちゃんやミョンヒちゃんの時を思い出し、矢野アカデミーの時に使った教科書を改良して作ったプリントを渡し、日本語と英語の違い、あいうえお、挨拶までを教える。あいうえおはそんないきなり読めないし覚えきれないが、挨拶とからめて、動作も入れて教える。1時間という時間はあっという間。初日の1人目の時間が終わろうとしていた。
「次回はまた私かもしれないし、違う先生かもしれない。でももしよかったらこのプリントを使って復習してみてね。」
と、今日の分のプリントをあげた。たぶん、次回は別の人が担当するだろうと思いながら・・・・。
すると、
「今日は楽しかったよ。何回かここにきてるけど、こんなにプリントを作ってきてくれた人はいなかったよ。キミが初めてだ。すごくいいよ。」
と彼が言ってくれた。
・・・・ふ〜む、なるほど、Martyとしては当たり前のことをしただけだったのに、感謝されてしまった。それほど何か、手元に残るものを求めているのかな・・。Martyの教え方がきちんとしていた、ということなんだろうか。でも、Martyはきちんと「日本語の教え方」を習ったわけだし、それはそれで当たり前。でもここにくる日本語ボランティアの人たちは、まったくの素人の人もいるわけだし、違いがでてくる。そりゃ、そうだわね。
でも第1回めの授業で、確かな手ごたえを感じたMartyだった。
今日は続けてもう1時間あったので、次のテーブルへと向かった。そこにはキャシャな体つきに丸刈り頭、耳にはピアスといういでたちの、若い白人の男性がいた。ここでいうイマドキのタイプだった。

JTOカナダ編4へ

 

 
当サイトの内容を参考に行動して、あなたに不都合が生じても一切責任は負いません。

Copyright (C) 2000-2014 バンクーバー暮らし方 編集室 All Rights Reserved